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引き続き『細川幽斎 (講談社学術文庫)』より。

幽斎さんは、弓術>剣術だったらしい。
(*剣術も相当です)
先生は波々伯部(ははかべ)貞弘。
天正3年(1575)に師事、天正8年(1580)5月に免許皆伝。
これで他の人に指導することもできるようになって、
文禄5年(1596)には松平忠吉に免許を授ける。

同書p67
 (幽斎は)老年になって小倉に閑居した頃、ついその辺りを
 散歩するというような場合でさえも、供の者に弓を持たせ、
 刀の下げ緒に弓懸けをくくりつけて歩いた、ということである。

弓懸(ゆがけ)は弓を引く際に右手につける鹿革の手袋。
下げ緒にこういうのをつけてブラブラさせるのは、
別に格好悪いことじゃなかったのかなー?

あと、家臣たちが弓の練習をしているとよく見物した。
未熟な人間が恥じて練習中止すると、
「ここで見てるからしっかりやりなよ」
と熱心なので、皆しかたなく練習再開する羽目になる。
そうすると幽斎、満足して、
「そうそう、下手でも頑張れば少しずつ上達するし、
 下手に戻ることはないんだよ」
と言ったとか。

うん、いい話なのかもしれないけど、
だったら教えてあげたらどうでしょうかと言いたくなるなw

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2010/10/31(日) 細川さん COM(0)
前回の続き。

ネットであちこち見ていたら、
歴史話を書いている個人ブログで、

「大内義隆が隆元の嫁を世話すると言っていたので、
 実現をずっと待っていた」

という話があった。
でも出典は記載されてなかったorz
大内さんちの史料かなー。
2010/10/30(土) 毛利さん COM(0)
細川幽斎 (講談社学術文庫)』より。

本能寺の変後、光秀→幽斎宛の書状。

   覚え
 一、御父子もとゆひ御払ひ候由、もつとも余儀なく候。一旦、我らも腹立ち
 候へども、思案候ほどに、かやうにあるべきと存じ候。然りといへども、
 この上は、大身を出だされ候て、御入魂こひねがふ所に候事。
 一、国の事は、内々、摂州を存じあて候て、御のぼりを相待ち候つる。但・
 若の儀、おぼしめしよせ候はば、これもつて、同然に候。さしあひ、きつと
 申しつくべき候事。
 一、我ら不慮の儀存じ立て候事、忠興など取り立て申すべしとての儀に候。
 さらに別状なく候。五十日、百日の内には、近国の儀、相堅むべく候。
 それ以後は、十五郎、与一郎殿などに引き渡し申し候て、何事も存ずまじく候。
 委細、両人申さるべく候事。
  以上
   六月九日                       光秀(花押)

これを持って使いしたのは、明智秀満と荒木勘十郎だとか。
で、明智秀満が細川父子協力拒否の返事を持って帰ったと。

最初の段落ではちょっと本音を出しつつも下手に出て。
次の段落では領国はいくらでもあげるからね!と空手形を出して。
最後の段落では娘婿だよね、娘の舅だよねと縁をにじませて。
必死さは感じるけど、
あんまり情義とかに訴えた感じはない気がする。

あと「忠興」なんだか「与一郎殿」なんだか。
統一されてないのは、
そういう書式があるのか大慌てだったからかテンパってるからか、
どれだろう?

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2010/10/29(金) 細川さん COM(0)
今度はこちらを読み始め。

細川幽斎 (講談社学術文庫)
細川幽斎 (講談社学術文庫)
  • 出版日 - 1996-09
  • 出版社 - 講談社
  • 著者 - 桑田 忠親
  • 形式 - 文庫

冒頭から私のイメージと全然違う幽斎さんで、
プチブレインストーミングな感じw
っていうか、こっちのイメージが偏ってるのかw
2010/10/28(木) 細川さん COM(0)
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