『
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)』読書中。
官僚機構がしっかりしていたとウワサの北条家に、
改めて驚いた。
場内で飼育されている小鳥の餌には、須賀(神奈川県平塚市)から鮮度のよい鯵を納めさせて、担当役人の増阿弥に渡された。こんな細かい品にまで担当役人が決まっており、いかに城内の管理機構が確立していたかを想像させる。これらの物品費用は、郷村の年貢などの公事(諸税)から差し引かれた。
小鳥のエサ担当が、ちゃんと「役人」としてあるくらいなので、
もちろん城主たちのご飯担当の役人もいて、記録も残っているそうだ。
小田原城には城中用の食料確保のために「御菜浦」(おさいうら)が設定され、そこから農作物や魚介類が納入されていた。代金は年貢の代わりに賦課されたものと、代金を支払う方法とで賄った。真鶴(神奈川県真鶴町)からは男の海人が採ったアワビなどの魚介類を、国府津(小田原市)からは氏康夫人専用の魚介類を納入して、鯛・鰹・アワビ・イナダなどの高級魚を生簀で飼育していた。
「夫人専用」って何事w
やっぱり城主夫人にふさわしい魚介となると、普通とは違うのかな。
特製のエサとか与えられてたとか、きれいな海水で飼われてたとか?
川魚じゃないんだから、そんなのは要らないか?
これらの魚介類は鮮度が落ちないうちに納入する必要がある。夏場には塩漬けの魚介類の納入書も散見するが、特に急の来客の饗応には鮮度のよい高級食材が必要であるから、担当役人は苦労したと思われる。ある時には三浦半島の突端から一晩で鯵を小田原城に納入せよ、との命令も見られるから、漁船に生簀があったのだろうか。
「三浦半島から小田原へ」
「一晩の制限時間」
「弱る鯵、荒れる海」
「主君に恥をかかせられるか」
……みたいな感じで、
上からの無茶な要求に応える『戦国プロジェクトX』を想像したw
急な来客、迷惑だな!w