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まだまだ『事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
今度は北条早雲の項。
早雲が書き残したという『早雲寺殿二十一ヶ条』より
屋敷の日常生活の注意事項について。

 朝は早くに起き、夜は五つ(午後8時)には寝ること。朝は洗面の前に厠から厩、庭、門外まで見回り、掃除する箇所を家臣に指摘し、建物の破損箇所もすぐに修繕しておけ。

いちいち具体的に、
「今朝は厠の羽目板の右から3番目に汚れがあったぞ」
とか言うんだろうか?
で、それが毎日?
こりゃ口うるさいw
2011/06/15(水) 北条さん COM(0)
ひきつづき『事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
北条氏康の項より。

 城内の執務機構も整備され、各方面に発給される公式文書のための帳簿類や記録類の整備は重要な執務のひとつであった。一度期に同文の文書を多くの右筆に書かせて発給し、間違いなく先方に届ける機構も見逃せない。

ずらっと右筆が並んで、口述筆記してるのかな。
コピー機がない時代は大変だ。
うっかりひとり書き損じるなんてことがあったら、超焦りそうw

 さらに、月2回城内で開かれ、氏康も出席したと思われる評定会は、郷村や家臣らの不満や訴訟問題を直に聞く場面で、ここでも記録類は重要であった。氏康は目安箱を城門前に設置して庶民の苦情や訴えを聞いたが、家臣との交流で大切なのは、むしろ新たに随伴した関東の独立大名ともいえる国人衆との関わりであった。

目安箱設置は、吉宗の前に氏康か。
割とフランクな印象なのは、
それだけ「下」の力が強かったってことなんだろうな。

 それらの国人衆が後北条氏に随伴するに当たっては、小田原城に出仕して氏康と対面し、さまざまの要求や意見が検討された。氏康としても離反を防ぐためには注意深く彼らと交渉する必要があった。特に国人衆からは人質をとって小田原城内に止めておいたので、その扱いも問題であった。担当家臣を配置して管理させ、立場や利害の相違する国人衆の実態を把握していった。

人質担当役人もいたのかw
これもなかなか大変そうな役職だな。
先のごはん問題に関連して、
人質間での格差ってどれくらいあったんだろう?

北条氏って史料は多そうだし、
ちゃんと調べたら面白そうだな。
2011/06/15(水) 北条さん COM(0)
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)』読書中。

官僚機構がしっかりしていたとウワサの北条家に、
改めて驚いた。

 場内で飼育されている小鳥の餌には、須賀(神奈川県平塚市)から鮮度のよい鯵を納めさせて、担当役人の増阿弥に渡された。こんな細かい品にまで担当役人が決まっており、いかに城内の管理機構が確立していたかを想像させる。これらの物品費用は、郷村の年貢などの公事(諸税)から差し引かれた。

小鳥のエサ担当が、ちゃんと「役人」としてあるくらいなので、
もちろん城主たちのご飯担当の役人もいて、記録も残っているそうだ。

 小田原城には城中用の食料確保のために「御菜浦」(おさいうら)が設定され、そこから農作物や魚介類が納入されていた。代金は年貢の代わりに賦課されたものと、代金を支払う方法とで賄った。真鶴(神奈川県真鶴町)からは男の海人が採ったアワビなどの魚介類を、国府津(小田原市)からは氏康夫人専用の魚介類を納入して、鯛・鰹・アワビ・イナダなどの高級魚を生簀で飼育していた。

「夫人専用」って何事w
やっぱり城主夫人にふさわしい魚介となると、普通とは違うのかな。
特製のエサとか与えられてたとか、きれいな海水で飼われてたとか?
川魚じゃないんだから、そんなのは要らないか?

 これらの魚介類は鮮度が落ちないうちに納入する必要がある。夏場には塩漬けの魚介類の納入書も散見するが、特に急の来客の饗応には鮮度のよい高級食材が必要であるから、担当役人は苦労したと思われる。ある時には三浦半島の突端から一晩で鯵を小田原城に納入せよ、との命令も見られるから、漁船に生簀があったのだろうか。

「三浦半島から小田原へ」
「一晩の制限時間」
「弱る鯵、荒れる海」
「主君に恥をかかせられるか」
……みたいな感じで、
上からの無茶な要求に応える『戦国プロジェクトX』を想像したw
急な来客、迷惑だな!w
2011/06/15(水) 北条さん COM(0)
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