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ひきつづき『事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
北条氏康の項より。

 城内の執務機構も整備され、各方面に発給される公式文書のための帳簿類や記録類の整備は重要な執務のひとつであった。一度期に同文の文書を多くの右筆に書かせて発給し、間違いなく先方に届ける機構も見逃せない。

ずらっと右筆が並んで、口述筆記してるのかな。
コピー機がない時代は大変だ。
うっかりひとり書き損じるなんてことがあったら、超焦りそうw

 さらに、月2回城内で開かれ、氏康も出席したと思われる評定会は、郷村や家臣らの不満や訴訟問題を直に聞く場面で、ここでも記録類は重要であった。氏康は目安箱を城門前に設置して庶民の苦情や訴えを聞いたが、家臣との交流で大切なのは、むしろ新たに随伴した関東の独立大名ともいえる国人衆との関わりであった。

目安箱設置は、吉宗の前に氏康か。
割とフランクな印象なのは、
それだけ「下」の力が強かったってことなんだろうな。

 それらの国人衆が後北条氏に随伴するに当たっては、小田原城に出仕して氏康と対面し、さまざまの要求や意見が検討された。氏康としても離反を防ぐためには注意深く彼らと交渉する必要があった。特に国人衆からは人質をとって小田原城内に止めておいたので、その扱いも問題であった。担当家臣を配置して管理させ、立場や利害の相違する国人衆の実態を把握していった。

人質担当役人もいたのかw
これもなかなか大変そうな役職だな。
先のごはん問題に関連して、
人質間での格差ってどれくらいあったんだろう?

北条氏って史料は多そうだし、
ちゃんと調べたら面白そうだな。
2011/06/15(水) 北条さん COM(0)
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