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関ヶ原直前、
土方雄久と大野治長が関東に流罪となったのは、
家康暗殺計画を立てたからじゃなかったんだよ!な話。

淀殿と悪き事ありさうなり。
この沙汰に依てなり。
やりたや大野修理といふ小歌此時にはやりしなり。

「悪き事」の具体的内容が、
下ネタしか思い浮かばなかった……。
2013/03/16(土) その他の小話 COM(0)
「別所主水」という人を検索したところ、
どうも「別所宗治」という人らしい。
なので再検索すると、

「別所宗治は三木城で兵糧攻めに遭い~」

みたいなサイトがいくつかヒットする。

……それは別所長治だ!w

たぶん備中高松城に籠城した清水宗治
ごっちゃになっているんだろうなー。

天正8年(1580年)羽柴秀吉に反発、
干し殺しに遭って死んだ長治と、
天正10年(1582年)
中国攻めを行う羽柴軍と毛利家の先鋒として戦い、
水攻めに遭って死んだ宗治は、
かなり違うと思うんだが。

「秀吉が敵」「毛利は味方」「籠城」「切腹」「名前が○治」あたりが
ごっちゃになるポイントかな?
2012/10/02(火) その他の小話 COM(0)
長崎黒船来港事件を調べていたら、
唐津にも黒船が来ていた模様。

長崎にポルトガル船が来たのは正保4年(1647年)。
こちらは国交回復を求めての来港。
一方、唐津来港それより早い正保元年(1644年)、
航路を迷ったらしいオランダ船だった。
しかし藩主・寺沢堅高
寛永14年(1637年)島原の乱の失政責任を挽回しようと、
この黒船を撃沈。
かえって幕府に咎められた。
同年、堅高は江戸で自殺。
寺沢家は断絶した。
2011/12/25(日) その他の小話 COM(0)
いつものように『武功雑記』を読んでいたら、
いきなり源頼朝の話が出てきてびっくりした。
別に戦国~江戸時代に限ったエピソードを書いたわけじゃないんだから、
頼朝エピソードを書き留めたっていいんだけどさw

頼朝公伊豆え流罪の前三年は。伊勢島に御座候由。此時安達藤八と今一人と両人付参居候。
両人は粟飯を被下候。頼朝公のまいり候米飯と一所に釜に入て焼候に。何にと仕候ても一つにゆりあい。米粟まじり候ゆへ。両人気の毒に存候。
然るに飯をいつもの如くこしらへ。煮え申時分に。頼朝公両人を召て。雑談時を移され候。
両人心に飯の不出来にあらん事を。気遣に存候へども。無了簡。
咄すみて後。釜の蓋を開き見申候へば。粟米まじらず。いかにもよく飯出来候。
いつも飯になりかゝり候時分。粟と米とまじらざるやうにと。中をいろひ。或は火を強くたくゆへなり。
是を頼朝公御存被成て。右のあひしらひを被成候由。

頼朝、純粋な米の飯ゲットの巻。
どこでそんな知恵をつけたんだろう?w
2011/12/17(土) その他の小話 COM(0)
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