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幽斎の娘で忠興の妹・伊也と、
後に忠興に殺される一色義定の間に、
子があったという話を読んだ。
もちろんのんきに養育できるわけもなく、
愛宕下坊の僧侶になって歴史の表舞台からは消えました、
というオチ。

この伊也、
実家に戻った時に夫を殺した忠興に斬りかかって鼻を傷つけた、
なんて逸話もあるくらいだから、
子がいたっておかしくはないんだが。
ただ、この子が行った愛宕下坊、
もともと幽斎の弟がいたとも書いてあった。
(誰かは不明)

一族の誰かが出家してるのは珍しくないけど、
愛宕か……。

愛宕と言えば、光秀の愛宕百韻。
なんとなく細川がからんでると意味ありげだw
2012/01/23(月) 細川さん COM(0)
歴史をさわがせた女たち 日本篇』読了。
忠興とガラシャ夫妻の考察を興味深く読んだ。

p124
 忠興は、本当に彼女を熱愛していたのだろうか?
「寛政重修諸家譜」という江戸時代の公式記録がある。これによると、細川家では、
「本能寺の変のあと、珠子を離別したが、秀吉の命によって復縁した」
 と申したてている。これが事実なら、忠興の珠子熱愛説は、だいぶあやしくなる。戦国武将の習いとして、忠興は愛情よりも保身第一だったのではあるまいか。
(略)
 忠興には彼女の悩みの深さはわからない。もともと思索的、テツガク的なタイプではなく、ごく現実的な男なのだ。しかもそのかぎりにおいては、神経質なくらい気の廻るほうで、珠子を幽閉したのも、そのあらわれであろう。

忠興がガラシャを愛してたか愛してなかったかは、
本人の自覚もさることながら、
ガラシャはじめ周囲がどう解釈するかによっても
結論は違ってくるだろうから、
ひとまず置いておくことにして。
忠興が「現実的な男」ってところで、いろいろ考えた。

「現実的な男」といったら、何より幽斎。
あのいろんな特技は全部世を渡る上で役立つ「実技」だ。
芸術である和歌にしたって、
「こみあげる情動の発露」って感じとはほど遠い。
(すでに和歌自体そういうものなんだろうが)
生い立ちとか芸術的センスで洗練されて見えるけど、
本質的には家康に近いところがあると思うw

忠興もその点はとても父親似で、
しかも出来がいい。
(この辺、黒田父子とは違うw)
だけど父よりもうちょっと魂のシャウトwが感じられる気がする。
父親とあんまり仲が良くないのも、
そのあたりの違いから来るいらだちもあったのかなあ。

そんな忠興が年を取ってから、
「最近のオレ、幽斎みたい」
「和歌やっとけって言ってた意味がわかった」
的なことを言っているのかと思うと、
なかなか感慨深い。
2011/10/28(金) 細川さん COM(0)
細川興元が忠興に、

「大坂の陣での丹羽と立花はどうだったよ?」

と聞かれて、

「あーもう全然ダメダメだったわー。
 あそこんちって補佐役で保ってるのに、今回いなかったからさー」

なんて答えたという話を『武功雑記』で読んだ。

ところで丹羽長重と立花宗茂と細川興元って、
後でみんな秀忠の御伽衆になってるみたいなんだが。
そして時期はわからないけど、
興元の後妻って宗茂の養女なんだが。
こんなこと言ってて、気まずくならなかったんだろうかw

それとも、もしかしたら長重と宗茂と興元はこの頃から割と仲良しで、
だから、

(このクソ兄貴にあいつらのこと褒めてみせたら、
 要らん嫉妬を招くかもしれないし……ここは落としとくか。
 兄貴の目が逸れるように、代わりに酒井の息子の方を褒めとこ)

なんて興元が思いやったなんてオチじゃないよねw
忠興は宗茂にお金貸したり茶器借りたりと、仲良かったはずだし!

……でも不仲な兄弟ということと、相手があの三斎様ということで、
ついいろいろ勘繰ってしまうw
2011/08/25(木) 細川さん COM(0)
武功雑記』より。

関ヶ原陣の時。細川三斎年卅九。福嶋大夫も同年の由。

忠興と正則は同級生だった説。
Wiki見ると忠興が2コ下みたいだけど。

『福島大夫殿御事』もそのうち読みたい。
2011/04/03(日) 細川さん COM(0)
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