『
歴史をさわがせた女たち 日本篇』読了。
忠興とガラシャ夫妻の考察を興味深く読んだ。
p124
忠興は、本当に彼女を熱愛していたのだろうか?
「寛政重修諸家譜」という江戸時代の公式記録がある。これによると、細川家では、
「本能寺の変のあと、珠子を離別したが、秀吉の命によって復縁した」
と申したてている。これが事実なら、忠興の珠子熱愛説は、だいぶあやしくなる。戦国武将の習いとして、忠興は愛情よりも保身第一だったのではあるまいか。
(略)
忠興には彼女の悩みの深さはわからない。もともと思索的、テツガク的なタイプではなく、ごく現実的な男なのだ。しかもそのかぎりにおいては、神経質なくらい気の廻るほうで、珠子を幽閉したのも、そのあらわれであろう。
忠興がガラシャを愛してたか愛してなかったかは、
本人の自覚もさることながら、
ガラシャはじめ周囲がどう解釈するかによっても
結論は違ってくるだろうから、
ひとまず置いておくことにして。
忠興が「現実的な男」ってところで、いろいろ考えた。
「現実的な男」といったら、何より幽斎。
あのいろんな特技は全部世を渡る上で役立つ「実技」だ。
芸術である和歌にしたって、
「こみあげる情動の発露」って感じとはほど遠い。
(すでに和歌自体そういうものなんだろうが)
生い立ちとか芸術的センスで洗練されて見えるけど、
本質的には家康に近いところがあると思うw
忠興もその点はとても父親似で、
しかも出来がいい。
(この辺、黒田父子とは違うw)
だけど父よりもうちょっと魂のシャウトwが感じられる気がする。
父親とあんまり仲が良くないのも、
そのあたりの違いから来るいらだちもあったのかなあ。
そんな忠興が年を取ってから、
「最近のオレ、幽斎みたい」
「和歌やっとけって言ってた意味がわかった」
的なことを言っているのかと思うと、
なかなか感慨深い。