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引き続き『細川幽斎 (講談社学術文庫)』より。

幽斎さんは、弓術>剣術だったらしい。
(*剣術も相当です)
先生は波々伯部(ははかべ)貞弘。
天正3年(1575)に師事、天正8年(1580)5月に免許皆伝。
これで他の人に指導することもできるようになって、
文禄5年(1596)には松平忠吉に免許を授ける。

同書p67
 (幽斎は)老年になって小倉に閑居した頃、ついその辺りを
 散歩するというような場合でさえも、供の者に弓を持たせ、
 刀の下げ緒に弓懸けをくくりつけて歩いた、ということである。

弓懸(ゆがけ)は弓を引く際に右手につける鹿革の手袋。
下げ緒にこういうのをつけてブラブラさせるのは、
別に格好悪いことじゃなかったのかなー?

あと、家臣たちが弓の練習をしているとよく見物した。
未熟な人間が恥じて練習中止すると、
「ここで見てるからしっかりやりなよ」
と熱心なので、皆しかたなく練習再開する羽目になる。
そうすると幽斎、満足して、
「そうそう、下手でも頑張れば少しずつ上達するし、
 下手に戻ることはないんだよ」
と言ったとか。

うん、いい話なのかもしれないけど、
だったら教えてあげたらどうでしょうかと言いたくなるなw


当然のように弓術周辺も落としてない。

同書p68
 矢矧(やはぎ)などにも関心をもち、鏑矢、鋒矢、四根、磁頭などという
 古法にまでくわしかったということである。

矢矧っていうのは矢を作ることらしいので、
もしかしたらオリジナル矢とか持ってたんだろうか?w
2010/10/31(日) 細川さん COM(0)
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