スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
細川幽斎 (講談社学術文庫)』より。

本能寺の変後、光秀→幽斎宛の書状。

   覚え
 一、御父子もとゆひ御払ひ候由、もつとも余儀なく候。一旦、我らも腹立ち
 候へども、思案候ほどに、かやうにあるべきと存じ候。然りといへども、
 この上は、大身を出だされ候て、御入魂こひねがふ所に候事。
 一、国の事は、内々、摂州を存じあて候て、御のぼりを相待ち候つる。但・
 若の儀、おぼしめしよせ候はば、これもつて、同然に候。さしあひ、きつと
 申しつくべき候事。
 一、我ら不慮の儀存じ立て候事、忠興など取り立て申すべしとての儀に候。
 さらに別状なく候。五十日、百日の内には、近国の儀、相堅むべく候。
 それ以後は、十五郎、与一郎殿などに引き渡し申し候て、何事も存ずまじく候。
 委細、両人申さるべく候事。
  以上
   六月九日                       光秀(花押)

これを持って使いしたのは、明智秀満と荒木勘十郎だとか。
で、明智秀満が細川父子協力拒否の返事を持って帰ったと。

最初の段落ではちょっと本音を出しつつも下手に出て。
次の段落では領国はいくらでもあげるからね!と空手形を出して。
最後の段落では娘婿だよね、娘の舅だよねと縁をにじませて。
必死さは感じるけど、
あんまり情義とかに訴えた感じはない気がする。

あと「忠興」なんだか「与一郎殿」なんだか。
統一されてないのは、
そういう書式があるのか大慌てだったからかテンパってるからか、
どれだろう?

続きを読む
2010/10/29(金) 細川さん COM(0)
今度はこちらを読み始め。

細川幽斎 (講談社学術文庫)
細川幽斎 (講談社学術文庫)
  • 出版日 - 1996-09
  • 出版社 - 講談社
  • 著者 - 桑田 忠親
  • 形式 - 文庫

冒頭から私のイメージと全然違う幽斎さんで、
プチブレインストーミングな感じw
っていうか、こっちのイメージが偏ってるのかw
2010/10/28(木) 細川さん COM(0)
『日本史伝文選』より『幽斎尊翁御葬礼記』

 葬礼は小倉の城下なるべしとの御遺訓ならばとて。急ぎ迎の船よそひあり。
 結縁の御僧紫野玉甫和尚。南禅寺慶安和尚。天龍寺。相國寺。
 建仁寺の出世七人。其の外の貴僧百五十余人都より招聘あり。
 九月十三日豊の小倉に著き給ひぬ。御葬礼は同じき十八日午の上刻と
 定まりければ。國中は云ふまでもなく。遠境の寺院老幼男女。
 袖を連ねて入り来る事引きもきらず。宇佐の御許のみ御神の恐ありとて
 除き給ふ。御館より東に当りて野上が原とて。方八町ばかり広き野辺あるを。
 垣結ひ廻し。北に龕前堂を建て南に火屋あり。龕形作り檜皮葺にしららひ。
 棺を箔にて磨きたれば。日に映じて輝くこと秋の稲妻の如し。
 施主御焼香事済み。調吟の諸宗は家々の勤をなし。前豊州太守兵部侍郎二位法印
 泰勝院殿微宗玄旨大居士尊霊成等正覚と廻向して各立ち去りぬれば。
 跡は空しき野辺となつて。有為の転変は今日前に現れ。泪此の原の草露に争ふ。

慶長15年(1610年)の葬儀。
紫野玉甫和尚は、幽斎の実弟。
2010/10/22(金) 細川さん COM(0)
に書いたような私が妄想するお玉ちゃんは、
司馬遼太郎の『胡桃と酒』の影響かも、とふと思い出した。

戦国の女たち―司馬遼太郎・傑作短篇選 (PHP文庫)
戦国の女たち―司馬遼太郎・傑作短篇選 (PHP文庫)
  • 出版日 - 2006-03
  • 出版社 - PHP研究所
  • 著者 - 司馬 遼太郎
  • 形式 - 文庫

じゃあっていうんで他のあれこれ見ていたら、
やっぱいろんなガラシャ像があるんだよなー(当然)
嫉妬深かったのは忠興よりむしろガラシャだった、
なんて解釈とか面白いw

でもなんでだろう、
ここに出てるガラシャの字、
妙に怖いんですけどorz
2010/10/19(火) 細川さん COM(0)
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。