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『日本史伝文選』より『幽斎尊翁御葬礼記』

 葬礼は小倉の城下なるべしとの御遺訓ならばとて。急ぎ迎の船よそひあり。
 結縁の御僧紫野玉甫和尚。南禅寺慶安和尚。天龍寺。相國寺。
 建仁寺の出世七人。其の外の貴僧百五十余人都より招聘あり。
 九月十三日豊の小倉に著き給ひぬ。御葬礼は同じき十八日午の上刻と
 定まりければ。國中は云ふまでもなく。遠境の寺院老幼男女。
 袖を連ねて入り来る事引きもきらず。宇佐の御許のみ御神の恐ありとて
 除き給ふ。御館より東に当りて野上が原とて。方八町ばかり広き野辺あるを。
 垣結ひ廻し。北に龕前堂を建て南に火屋あり。龕形作り檜皮葺にしららひ。
 棺を箔にて磨きたれば。日に映じて輝くこと秋の稲妻の如し。
 施主御焼香事済み。調吟の諸宗は家々の勤をなし。前豊州太守兵部侍郎二位法印
 泰勝院殿微宗玄旨大居士尊霊成等正覚と廻向して各立ち去りぬれば。
 跡は空しき野辺となつて。有為の転変は今日前に現れ。泪此の原の草露に争ふ。

慶長15年(1610年)の葬儀。
紫野玉甫和尚は、幽斎の実弟。
2010/10/22(金) 細川さん COM(0)
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