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地味っちゃ地味ながら、
豊臣家中老→徳川家と、
個人としては戦国を上手に生き延びた中村一氏

彼の奥さん安養院(池田恒興女)の前夫が、
あの森長可だったことを初めて知った!

……しかしこの時代の女性の記録ってないんだよなー。
一氏の息子・一忠の母はこの人だったのか?
検索してみたら、
女鉄砲隊を率いたともいう「池田せん」と
同一人物扱いになっているようだけど、
長可の遺書に出てくる「おひさ」こそ彼女では、
という話もあるようだ。

1573年に長可に嫁いだという話を見かけた。
長可は1558年生まれなので、16歳。
そして池田恒興は1536年生まれなので、38歳。
花嫁がこの時12、3歳くらいとすると、
25歳前後の時の子という感じで丁度いいかな?

とすると、安養院は、
一忠が生まれた1590年には30歳くらい。
……あり得なくはない、けど、なあ……w
2011/09/28(水) その他の小話 COM(0)
『武功雑記』もそうだけど、
普通に「某は知行△石」という記事が普通に出てくる。

大名の石高は会社の資本金みたいなものだと思うが、
そこに仕える武士の知行はきっぱり給料だよな。
給与明細公開時代か……。
そりゃいくら内実火の車だったって、
迂闊に生活水準下げられなかっただろう。
2011/08/26(金) その他の小話 COM(0)
大江戸番付事情』読書中。
番付から読む当時のあれこれが面白い。
その中から、ブランド刀番付。

 番付のタイトルは『新刀 名釼鑑』である。〈しんとう めいけんかがみ〉と読む。新刀と古刀の境ははっきりしていて、慶長元年(1596)以後にできた刀を新刀ということになっている。

「新刀」とは言っていても、
こういう番付を作っていたのは18世紀くらいからのようだから、
当時の人から見たら100年以上昔の刀になるのかな?

 当時の新刀の値段は30両が上限だったことがわかる。1800年代はじめ頃の江戸では、一人前の大工の年収が約20両で、1両とは、京都と江戸の間の東海道五十三次を中級の旅籠、つまり一泊二食で200文ぐらいの宿屋に泊まりながら一カ月かけて往復できる金額だった。30両はかなりの大金なのである。

刀、やっぱり高いな!
上限が平均年収以上かー。
商人に比べると、
当時のお武家さまってそんなに裕福でもないような気がするんだが、
無理して買ったんだろうか?
2011/07/18(月) その他の小話 COM(0)
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
鍋島直茂の項。

龍造寺隆信の死、嫡男・政家の病弱などで、直茂に移った肥前の実権は、
その後も政家の嫡男・高房に戻ってくることはなかった。
そして慶長12年(1607年)、高房は22歳で急死。
わずか1か月後に、父の政家も死去する。
龍造寺家はこれで断絶した。

で、こうなるともちろんあれこれ異説が出てくるんだなw

 (高房は)このまま鍋島の下風に立つよりはと、江戸桜田の屋敷で突然夫人を殺害、自分も切腹したが、抱え医師に短刀を取り上げられて未遂に終わった。
 これが慶長12年3月のことである。生き恥を曝した高房は、さらに異常な行動に出た。
 9月、毒魚をしたたかに喰らい、乗馬大会に出場するという暴挙をおかしたため、切腹の傷跡が破れて出血多量で死ぬという、自殺同然の最期を遂げたのだ。

自殺ってレベルじゃねーぞ、と思うのだが。
そして結局は出血多量が死因ならば、毒魚とはなんだったのか。

ところでこの時食べた毒魚って、なんだろう?
やっぱりフグかな、というので調べてみた。
摂食後20分~数時間で症状が現れる、というから、
乗馬大会直前に食べたのだったら、
毒の影響がないうちに出場できるかな?
2011/06/18(土) その他の小話 COM(0)
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