スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
鍋島直茂の項。

龍造寺隆信の死、嫡男・政家の病弱などで、直茂に移った肥前の実権は、
その後も政家の嫡男・高房に戻ってくることはなかった。
そして慶長12年(1607年)、高房は22歳で急死。
わずか1か月後に、父の政家も死去する。
龍造寺家はこれで断絶した。

で、こうなるともちろんあれこれ異説が出てくるんだなw

 (高房は)このまま鍋島の下風に立つよりはと、江戸桜田の屋敷で突然夫人を殺害、自分も切腹したが、抱え医師に短刀を取り上げられて未遂に終わった。
 これが慶長12年3月のことである。生き恥を曝した高房は、さらに異常な行動に出た。
 9月、毒魚をしたたかに喰らい、乗馬大会に出場するという暴挙をおかしたため、切腹の傷跡が破れて出血多量で死ぬという、自殺同然の最期を遂げたのだ。

自殺ってレベルじゃねーぞ、と思うのだが。
そして結局は出血多量が死因ならば、毒魚とはなんだったのか。

ところでこの時食べた毒魚って、なんだろう?
やっぱりフグかな、というので調べてみた。
摂食後20分~数時間で症状が現れる、というから、
乗馬大会直前に食べたのだったら、
毒の影響がないうちに出場できるかな?
2011/06/18(土) その他の小話 COM(0)
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

コメントありがとうございます
本文以外の項目は任意です