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日本でも有数の城である姫路城の怪異話。
「おさかべ姫」は知っていたけど、
天狗からの手紙もあったっていうのはすごいなw

以下『事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
池田輝政の項。

 (慶長)14年12月13日には、「大天神とうせん坊」と「二条のせんまつ」と名乗る天狗から輝政夫婦に宛てた料紙50枚以上にも及ぶ書状が城内から発見された(『歓喜院文書』『円満寺文書』にこの書状が残っている)。
 その内容は、輝政には岐阜城主時代から遠江の天狗の呪いがかかっている。今、遠江の「四りん坊」という天狗が、「丸りん坊」という天狗と語らって輝政夫婦を調伏しようとしている。これから免れたくば城の鬼門に八天塔(八転塔)を建てて護摩を修せよ、というものであった。しかし輝政がこれに取り合わなかったところ、怪異がますますひどくなり、輝政自身が病に伏すこととなったため、ついに刑部明神を城内に祀ることにした、というものである。

「通せんぼう」とも読める大天神天狗、親切だなw
そして料紙50枚以上って、元就も真っ青の筆まめ&くどさw
「四りん坊」「丸りん坊」は「しりんぼう」「がんりんぼう」だろうか?
「まるりんぼう」ならかわいいかもw

怪異譚が多いのは、
新領主に下肥にまで課税されて締め上げられた領民の怨嗟の現れ、
という説になっているみたいだな。
天狗の手紙でもわざわざ「岐阜城主時代から」とあるのは、やっぱりそれでか?

あと輝政個人じゃなく夫妻宛になっているあたり、
督姫の存在感は半端なかったんだろうなと思わせる。
正室だから当たり前ではあるんだけど、
まあやっぱりw

 また、「東に傾く姫路の城は花のお江戸が恋しいか」と俗謡に歌われ、天守閣を建てた大工の棟梁の桜井源兵衛が、創建当初から東南に天守閣が傾いていることを苦にして投身自殺をしたという伝承もある。

昭和の大修理で、実際姫路城の礎石の沈下が判明したとのこと。
天守台石垣を十分に堅牢にする時間もかけずに、
それだけ早く新領地に城を建てたかったということか。

播磨は南流する5本の川で分断された国だったというから、
早く統一のシンボルが欲しかったのかな。
2011/06/17(金) その他の小話 COM(0)
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
赤松広秀の項。

まず赤松広秀についてまったく知らなかったので、
Wikipediaにお世話になった。
ふむふむ、播磨守護職赤松氏の末裔で、
天正5年(1577年)、
西播磨龍野城主だった16歳の時に秀吉に降伏。
平位郷佐江村に蔵書数千巻とともに退隠。
藤原惺窩と親交を結び、
日本抑留中だった朝鮮の朱子学者・姜沆とも師弟関係になって
後に『看羊録』にも記載がある、と。
学者気質だなー。
「斎村政広」に名前を変えたのは、この頃か?

で、蜂須賀正勝の配下となり、
小牧長久手の戦いなどに参戦して武功をあげたため、
天正13年(1585年)、
24歳で2万2000石で但馬国竹田城主となる。
竹田城は、別名虎臥(とらふす)城。
「天空の城」「日本のマチュピチュ」として、近年有名だな。

そんな絶景ビューポイントのお城を持ちながら、
領民の困窮を見、
麓に住居を構えて領内復旧に力を入れる。
年貢減免、治水工事、荒れ地の復興、桑栽培、養蚕興業、
さらに木地碗や漆器を作らせ、
これが後に「竹田家具」として有名に……って、
後世にも功績を残した名君だ!
学問の素養がいい方面に出た感じ。

なのに最期は家康の怒りを買って鳥取で自刃、
というのが悲しい……。
2011/06/16(木) その他の小話 COM(0)
浅井長政が己高山三珠院から林檎1籠を贈られた、とのこと。
(滋賀県立琵琶湖文化館所蔵文書より)
そんな時代からリンゴがあったのかと思って、
月蝕中のグーグル先生に訊いてみた。

林檎と善光寺 幻の「和りんご」

 日本で“りんご”の名が記録されたのは平安時代の中頃(918年)ですが、それは中国から渡来した粒の小さな「和りんご」とか「地りんご」という品種でした。奈良の春日大社には、りんごの木を高倉天皇が1170年ごろ奉納したという記録があり、本殿前の「林檎庭」と呼ばれる庭には和りんごの木が植えられています。信濃では「高坂りんご」と呼び、お盆には善光寺で売られ、仏前に供えられました。お盆になると仏前にリンゴを供える慣習はこんなところがルーツでしょうか。長野県の飯綱山のふもとで栽培されていた高坂りんご、赤く直径が4~5cmほどに小さく、重さ60g。いまのりんごに比べると甘さが少なく、酸っぱくて、硬くて、少し渋味があります。中国の『本草綱目』には「林檎の果は味が甘く能く多くの禽(鳥の意)をその林に来らしむ。故に林檎(りんきん)、来禽(らいきん)の名がある」との記述があり、昔は十分に甘くて美味しい果物だったのでしょう。

なるほど!
今も細々とながら栽培されている模様。(高坂林檎→ 彦根りんご→
高坂林檎のウオッカ漬け、いいなw
2011/06/16(木) その他の小話 COM(0)
引き続き『武功雑記』と格闘中。

家康と論語の話がよくわからなかったからググったら、
珍しくそのエピソードがヒットして、
ようやく状況が呑み込めた。

「誰が」と「誰に」がそっくり抜けてる文って、
現代国語じゃ許されないだろ……。
ご先祖様は鷹揚だったんだなあ。
2011/06/05(日) その他の小話 COM(0)
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