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浅井長政が己高山三珠院から林檎1籠を贈られた、とのこと。
(滋賀県立琵琶湖文化館所蔵文書より)
そんな時代からリンゴがあったのかと思って、
月蝕中のグーグル先生に訊いてみた。

林檎と善光寺 幻の「和りんご」

 日本で“りんご”の名が記録されたのは平安時代の中頃(918年)ですが、それは中国から渡来した粒の小さな「和りんご」とか「地りんご」という品種でした。奈良の春日大社には、りんごの木を高倉天皇が1170年ごろ奉納したという記録があり、本殿前の「林檎庭」と呼ばれる庭には和りんごの木が植えられています。信濃では「高坂りんご」と呼び、お盆には善光寺で売られ、仏前に供えられました。お盆になると仏前にリンゴを供える慣習はこんなところがルーツでしょうか。長野県の飯綱山のふもとで栽培されていた高坂りんご、赤く直径が4~5cmほどに小さく、重さ60g。いまのりんごに比べると甘さが少なく、酸っぱくて、硬くて、少し渋味があります。中国の『本草綱目』には「林檎の果は味が甘く能く多くの禽(鳥の意)をその林に来らしむ。故に林檎(りんきん)、来禽(らいきん)の名がある」との記述があり、昔は十分に甘くて美味しい果物だったのでしょう。

なるほど!
今も細々とながら栽培されている模様。(高坂林檎→ 彦根りんご→
高坂林檎のウオッカ漬け、いいなw
2011/06/16(木) その他の小話 COM(0)
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