『
武功雑記』の今日の分。
「沖田畷の戦いの時、島津家久は江里口信常に襲われて
とっさに江里口と逆の左側に下馬しかかったけど
それじゃ薩摩の恥じゃん!っていうんで右側に飛び降りた」
って話だった。
そういえば昔の和式馬術はどっちが普通だったんだっけ、
と思ってグーグル先生に聞いてみた。
……聞き方悪いのか、出ないしorz
(しかし意外に和式馬術団体があるということはわかったw)
Wikiでも西洋馬術とは乗馬位置が逆としか書いてない。
これじゃ本当に右側から乗り降りしてたのか確証が持てん。
そんな中やっとヒットしたのが、
番組開始前に見限って一度も見てない
2011大河GO!のQ&Aコーナーだったという皮肉。
→NHKさんナメててすみません。
武将の馬の乗り降りについては、当番組では右側を原則としています。
古馬術では、右側から乗り降りしていたようです。
洋鞍では、馬の左側から乗り降りするようですが、それはサーベルを下げて右側から乗ろうとすると、サーベルで馬をひっぱたいてしまうからだそうです。
しかし、和鞍の場合は、身体を馬に付けないと乗れないので、左側から乗ろうとすると刀の柄で逆に馬を突っついてしまうので、右側から乗るのだそうです。
なるほど、馬の乗り方がそもそも違うのか!
これは盲点だった。
だけど読んでも具体的にどうやって乗ってるのかわからないから、
一度和式馬術も経験してみたくなった。
で、これで「家久が恥だと思った」の描写も納得。
襲われたからって作法と反対側に降りたんじゃ、
めちゃくちゃあわてふためいてるみたいだもんなw