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今日の『武功雑記』エピソードに、
大村純忠の娘・松東院が出てきた。
この人は松浦久信に嫁いで(いつの話かWikiだとわからないけどw)
長男・松浦隆信を生んでるから、
本稿作者の松浦鎮信のおばあさんなんだな。
そしてこの「鎮信」という諱は、曾祖父と同じなのか。

本名ソノおばあちゃんは棄教しなかったから
江戸のお寺に入れられちゃってたみたいだが、
孫が会うことはできたんだろうか?
亡くなったのは孫も30代半ばになっていた頃だけど。

ついでに読んだお父さん、隆信にちょっと笑った。
いくら貿易で損させられたからって、
"Foolish tono"ってあだ名はひどくないか、イギリス人w
2011/05/13(金) その他の小話 COM(0)
武功雑記』のこの文がいろいろわからない。

加州と富田を後家来大脇六右衛門。大坂御陣の刻高名仕。途中にて不存寄。
両御所様の御実検に奉入。則直の御意を蒙候。
其以後右の義被仰出之故。中納言殿家中を色々穿鑿被成候へば。
富田を後家来に有候を。則直参に被致知行千石鉄炮大将に被成候。
   〈注釈〉加州と富田文義不通

「富田」ってなんだ?
注釈が「加賀と富田は言葉が通じなかった」ってことなら、地名?
「後家来」は?
「両御所様」は家康と秀忠、「中納言殿」は前田利常でいいんだよな。

勘で現代語訳しちゃったが、あとあと訂正入れなきゃだろうなw
2011/05/11(水) その他の小話 COM(0)
武功雑記』の今日の分。

「沖田畷の戦いの時、島津家久は江里口信常に襲われて
 とっさに江里口と逆の左側に下馬しかかったけど
 それじゃ薩摩の恥じゃん!っていうんで右側に飛び降りた」

って話だった。

そういえば昔の和式馬術はどっちが普通だったんだっけ、
と思ってグーグル先生に聞いてみた。
……聞き方悪いのか、出ないしorz
(しかし意外に和式馬術団体があるということはわかったw)
Wikiでも西洋馬術とは乗馬位置が逆としか書いてない。
これじゃ本当に右側から乗り降りしてたのか確証が持てん。

そんな中やっとヒットしたのが、
番組開始前に見限って一度も見てない
2011大河GO!のQ&Aコーナーだったという皮肉。
NHKさんナメててすみません。

武将の馬の乗り降りについては、当番組では右側を原則としています。
古馬術では、右側から乗り降りしていたようです。
洋鞍では、馬の左側から乗り降りするようですが、それはサーベルを下げて右側から乗ろうとすると、サーベルで馬をひっぱたいてしまうからだそうです。
しかし、和鞍の場合は、身体を馬に付けないと乗れないので、左側から乗ろうとすると刀の柄で逆に馬を突っついてしまうので、右側から乗るのだそうです。

なるほど、馬の乗り方がそもそも違うのか!
これは盲点だった。
だけど読んでも具体的にどうやって乗ってるのかわからないから、
一度和式馬術も経験してみたくなった。

で、これで「家久が恥だと思った」の描写も納得。
襲われたからって作法と反対側に降りたんじゃ、
めちゃくちゃあわてふためいてるみたいだもんなw
2011/04/22(金) その他の小話 COM(0)
武功雑記【ぶこうざっき】
  肥前平戸藩4代藩主松浦鎮信(しげのぶ)(天祥)が記した戦話。
  1696年成立。
  天正~元和期(1573年―1624年)の諸士諸将の武勲を雑記したもので、
  特に関ヶ原の戦や大坂の陣などについて詳しい。

昨日今日にかけて読んだ箇所に、
関ヶ原の島津豊久15歳、沖田畷の島津家久20歳と立て続けに年齢詐称がw

若武者が悲壮に散る、活躍する、っていうのが、
鎮信さんの好みなんだろうかw
2011/04/08(金) その他の小話 COM(0)
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