スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
引き続き同じ本から。
広家が輝元に出した書状。

「日頼様被仰置候も當分五ケ國十ケ國御手に入候段ハ
 時之御仕合ふて候巳來之義者於御子孫天下御競望
 曾以被思召寄間敷通連々被仰聞たる由元春内々申候キ」

「とーちゃんは絶対天下を望むなって言ってた」
と元春はこっそり広家に話してた、ということなんだろうが、
(「連々」と入ってるところにウンザリ感が出てる気がするw)
それでも備中高松城で本能寺の変を知った時、
「隆景元春御分別違候と各被申候ヘ共」
秀吉追うな派の隆景とは考えは違っていた、なのかー。

この時点で秀吉を討ったところで、
即天下取りへ結びつくわけじゃないから?
パパが死んでから反抗期?
それとも単に秀吉嫌いか?w
2010/10/05(火) 毛利さん COM(0)
元春から元長への書。

「某給候而以来之儀者御存知之前ニ候不能申候」
(この旗幟をもらってからのパパの戦績(=不敗)は
 おまえもよく知ってるだろうから、ここでは言わないでおくね)

控えめ?な中にも自負たっぷりな元春さん素敵。
2010/10/05(火) 毛利さん COM(0)
前回はコチラ

「あんなブサイクでも嫁にもらいたがるくらい、
 毛利は必死になって熊谷と仲良くなろうとした」

という解釈も成り立つのか……?w
2010/10/04(月) 毛利さん COM(0)
西のお兄ちゃん毛利隆元の迷言と言えば、
「ちこちこ」「なつなつ」
もだけど、
「十に十一も必定」
も、なかなかのもんだと思う。
それともその頃、流行ってたんだろうか?

あ。
弟に「死語」とか笑われてまた落ち込むという妄想がひらめいたw
2010/10/03(日) 毛利さん COM(0)
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。