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永禄8年(1565年)2月、洗合の戦いで18歳で初陣した元長は、
いきなり真っ先に出て多勢を打ち破った。
それを見た熊谷信直が、
「さすがは元春の子! まさに獅子の児だよ!
 きっとこの子も鬼吉川って呼ばれるよ!」
と褒めた、と言うが。

「……だって俺の孫だもん」
って、こっそりにんまりしてると思うw
外孫だし、しかも婿は主筋だしで、
孫を褒めるにも気を遣うんだろうなあ。
2010/10/06(水) 毛利さん COM(0)
この人事で杉原家を継いだ杉原盛重。
後の天正9年(1581年)、元春軍6千vs秀吉軍6万の時、
もう盛重は死んじゃってたが、
22、3歳の長男弥八郎元盛、次男又次郎景盛が出陣。
臆病風に吹かれるどころか博打してた、と、
『名将言行録』に出ていた。
で元春も「父ちゃん似だねー」って感心した、
ってところまではいい話。

でもその直後、
景盛は家督を継いだ兄・元盛を殺し、その後毛利軍に攻められて自刃、
っていうのは悪い話。
2010/10/06(水) 毛利さん COM(0)
秀吉追撃を実際に主張したんだか主張してないんだか、
ともかく備中高松では決断を弟に譲った元春。
が、それよりはるか前の弘治3年、
杉原宮内少輔忠興の後継者選びでは譲らなかった、と。

隆景「律儀で武勇優れる杉原左衛門進興勝を」
元春「いや、経験はまだまだだけど、天性大機の杉原播磨守盛重」
隆景「あいついろいろ問題あるじゃん!
   人のことは虫ケラ以下扱いするわ、
   いつも博打ばっかしてるわ、
   俺強えええ!って自慢するわ、
   だから危なっかしい戦いするわ」
元春「それでも律儀で知少なく勇だけなのは単騎駆け向き。
   その点、盛重は大将の器。
   俺が監督するから問題はない」
元就「んじゃ元春案採用で」

元就パパがまだ元気なせいもあるんだろうが、
自分の初陣と人事だけは譲れねえ、なのか?w
俺が監督すりゃ問題ないって、
この自覚もしてなさそうな自信家ぶり、当時27歳とも思えんw
(あ、隆景と盛重って同い年だ)

武の元春、智の隆景のイメージとは反対の人選が面白いな。
隆景なにげに毒舌だし。
やっぱ実際の性格は(ry
2010/10/06(水) 毛利さん COM(0)
広家→輝元の書状、続き。

「秀吉を備中高松で見逃したからむこうも恩を感じて、
 毛利もこのように安堵されたのだ、と、
 隆景様も折に触れて話され、ご自慢のひとつでした」
(隆景折々御物語候而御自慢之一ニ候)

甥っ子たちつかまえて、あれこれ自慢してたのかw

近ごろ隆景が内弁慶ならぬ内ワガママに思えてきた(・∀・)
末っ子(厳密には違うが)気質というかなんというかw
2010/10/05(火) 毛利さん COM(0)
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