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「嫁なんてもらう気なかったけど/誰でもいいけど、
 俺の希望を言えっていうならブサで有名な熊谷の娘」

というのが元春嫁取り話の基本だと理解。
で、この話の元ネタは江戸時代に書かれた『陰徳太平記』。
岩国領家老の家の筆なので、吉川家関連事項を悪く書くわけがない。

一方、熊谷家文書にある熊谷信直宛の元春の手紙では、

「犬みたいなウチの元春が、
 私に話も通さずに勝手にそちらに結婚申し込んじゃって(滝汗)」

とある。
まあ元就の言葉をどこまで信じるかという問題はあるけどw

一見まったく違う『陰徳太平記』と元就の手紙だけど、
共通項がある。

つまり元春は結婚相手を自分で指定した

当時の武家の常識としてはよくないことだったのかなー。
それなら『陰徳太平記』で美談にすりかえたくもなるだろうし、
元就も「私は知らなかった知らなかった知らなかった」ってアセるよなー。
あと、熊谷家は毛利の次男の結婚相手をもらう家としてどうだったんだろう?

うーん、わからないことが多すぎる。
もっと勉強しなきゃだー。
……でも先に妄想しちゃうけどw
2010/10/17(日) 毛利さん COM(0)
東京大学史料編纂所の大日本史料総合データベースを見ていたら、
元春の北就勝養子話の年日が具体的に残ってた\(^o^)/
また後で駄文修正しとこ。

それから、
元就の出雲侵攻を止めようと足利義輝が元春に説かせた(だよな?)
って綱文も見つけた。
無理だと思ったw
2010/10/17(日) 毛利さん COM(0)
曲直瀬玄朔『医学天正記』には
回診した武将が記録されているらしく、
その中に小早川隆景の名前もあるとのこと。

病名:胃腸病(酒食原因)

飲み過ぎ・食べ過ぎには気をつけましょうw
2010/10/14(木) 毛利さん COM(0)
最近気になる、毛利隆元の結婚時期。
満年齢で26歳。
なんであんなに遅いんだろ?

内藤興盛女・大内義隆養女という、
いいお家のお嬢さんをもらったから?
でもこの尾崎局も22歳だから、
お互い遅いよなあ。

NHK大河みたいに、
隆元人質時代からの遠距離恋愛、
ってオチだとキレイだけど、はて。

……って今ちょっとぐぐったら、
天文6年(1537年)説、同10年(1541年)説も引っかかって、あれー。
これだと山口人質ライフから
嫁さん連れて戻ってきたことになるんだなあ。
2010/10/12(火) 毛利さん COM(0)
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