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今日のメモブログ更新分、
原文の「本多中書」に違和感ありまくりだったw
島津家久の「島津中書」とかなら、ここまでの違和感はないんだけど。

でもWiki見てみると、他に官職ないみたいだし、
やっぱり「本多中書」と書くしかないんだろうなあ。

個人的には、彼には「平八郎」が一番似合うw
2011/04/16(土) 徳川さん COM(0)
原文の意味がわからないから、こっちにメモ。
武功雑記』より。

 味方のおくれ口には、死人の頭にても取るが手柄也と、
 権現様御意なされ候よし。

「おくれ口」=遅れ口=出遅れた部隊?
それとも士気があがらない部隊?
ここがちっともわからないorz

出遅れたら死人の首を取るのが精一杯だ(だから出遅れるな)、って話なのか、
士気があがらない時は死人の頭を取ってでも士気をあげろ、って話なのか、
なんなんだろう?
2011/03/04(金) 徳川さん COM(0)
謀臣で有名な本多さんちは、
二代続けて兄=頭脳派、弟=武闘派なんだよなw

正信の次男の政信(武闘派)が、
やっぱり武闘派の叔父さんにあこがれてたりとか、
お父さんよりよっぽど話が合っちゃったりしてたら面白いw

叔父甥で諱が似てるのも偶然じゃないのかなー。
2011/02/11(金) 徳川さん COM(0)
原文の話題があっちこっち飛んでいたので、
こっちに分割してメモ。

酒井忠次長男・家次は、14歳で諸大夫(五位)になった。
少々礼儀作法を覚えておけということで、
小笠原丹斎につけられた。
公事(朝廷行事?政務?訴訟?)も聞き習っておけとも
命令があったが、
そうした仕事に携わることはなかった。

忠次は先祖の話をこの上なく恥ずかしく感じる性分だった。
そこで酒井家の系図は弟の丈鉄に渡していた。
それは千本木の火事で焼失してしまった。
2011/01/29(土) 徳川さん COM(0)
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