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智謀の一族真田三代 (別冊歴史読本 66)』より、
幸隆の逸話。

 幸隆が上州箕輪城の食客だった時、
 長野業正は、
 伊勢国北畠具教の家臣・長野右京亮親綱へ
 進物を贈らねばならなくなった。
 道中は長い上に、敵国ばかり。
 どうすれば無事に届けられるか長野家中の者が困っていると、
 幸隆がその役を買って出た。

 牢人の身でどんな方法があるのか、
 業正も心配して尋ねたが、
 「言葉に出せば漏れやすいので」
 と幸隆は答えなかった。

 業正から進物を預かった幸隆は、屋敷に戻った。
 しかし旅の用意もせず、出立の気配もない。
 弓を射たり馬を責めたり川狩りなどをして、
 そのまま20日余りを過ごした。

 周囲が呆れ、
 幸隆は役目を果たすつもりがないのかと思った頃、
 不意に幸隆は屋敷から姿を消した。

 実は、幸隆は進物を預かった直後、
 信頼できる家臣を伊勢神宮の御師に変装させ、
 進物を隠し持たせて密かに東海道を西上させていた。
 さらに武勇に優れた4、5人の家臣を別に編成し、
 こちらは六十六部廻国の修行者に変装させて、
 こっそり御師の護衛にあててもいた。
 その上で人びとの注意を自分に向けさせ、
 油断させたところで、
 すぐさま夜陰に紛れて碓氷峠を越えたのだった。

 幸隆は木曽路を越え、最短距離で桑名へと向かった。
 そこで御師、修行者に化けた家臣と落ち合い、
 長野親綱へと無事に進物を届けて後、
 箕輪へ戻ったという。
2010/11/28(日) 真田さん COM(0)
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