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細川幽斎 (講談社学術文庫)』その他より、幽斎の奥さんについて。

幽斎夫人は沼田上野介光兼女。
『沼田家記』によると、
光兼が近習として仕えていた将軍義昭の命令により結婚。
話自体はずっと昔、幽斎が生まれる前からだとも。
名前は不明。(Wikiによると「麝香」天文13年(1544)生まれ)
結婚した時期も不明ながら、
長男・忠興誕生が永禄6年(1563)幽斎30歳の時、
次男・興元誕生が永禄7年(1564)なので、
その頃と推測。
ただしWikiだと興元は永禄9年(1566)生まれ。

幽斎に側室の記録はないので、
この夫人が生んだ幽斎の子は男4人女4人。
細川家菩提寺の南禅寺天授庵に、幽斎像とともに夫人像が伝わる。
内助の功があり、和歌を詠じ、琴を弾いた、との讃あり。

Wikiによると、
慶長6年(1601)、嫁ガラシャの死の翌年、
忠興家臣小倉入部の影響で受洗。
洗礼名はマリア。

慶長15年(1610)幽斎が死去の後は尼になった。
元和4年(1618)7月26日、75歳で死去。
法名は、光寿院殿華岳宗英大禅定尼。
徳川将軍家は弔使を忠興に遣わし、
7日間の碁・将棋の類の禁止で弔意を表した。
2010/11/03(水) 細川さん COM(0)
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