『
細川幽斎 (講談社学術文庫)』より、
歌人(というより歌学教授?)幽斎さんの対応3例。
◆Case1:近衛公から自作15首の批評を求められた時
同書p112
身分の高い方であるから、普通の者の作品に対するように、ぶしつけに
あまりはっきり非難することもでき難い。それにしても、自分としては
この歌をただ結構でございますと軽薄に褒めて返すことは、いやしくも
歌の師といわれるほどの者として正しくない行いであるし、といろいろ
考えた末、多用の中にもかかわらず同じ題で十五首の和歌を作って、
私はこのように詠みました、と添書して返したということである。
◆Case2:名月の夜に蒲生氏郷から名物・千鳥の香炉披露をねだられた時
同書p121
すると幽斎は、急に何時にもない不愉快な顔つきで「今晩は、ついでもない
から……」と、そっけなく断わった。
氏郷は、「勿論、御秘蔵の重器ですから、そう易々と拝見できますまいが、
今晩のおもてなしとしましては、これに過ぎるものはありますまい」と、たって
望むので、幽斎も、その上いやとはいい難く、香炉を取り出して来たが、
どうも甚だ不興な様子である。氏郷が香炉を手に取って、つくづくとうち眺め
「いかにもまことに名にし負う名器でございます」と褒めても、幽斎はこれに
対する返事もろくろくしないで、早々に香炉を納めてしまった。
(略)
(氏郷にこの幽斎の態度について相談された里村紹巴は)それを聞いて、
しばらく考えていたが、はたと手を打って、「さすが幽斎殿はまことの歌人で
ある。いや、実に感じ入る次第だ。それは順徳上皇の御製に、
清美潟雲もなぎたる浪のうへに月のくまなる村千鳥かな
というのがあるから、このお歌を思い出されてそのように断わられたのだろう」
と感心した。
◆Case3:秀吉が「蛍の鳴く」というおかしな句を作った時
同書p134
(おかしいと指摘した紹巴に対し)幽斎は、いや、それは少しもかまわぬ、
古歌に、
武蔵野にしのをつかねて降雨にほたるならでは鳴く虫もなし
おく山のくち木の洞になく蛍声なかりせばこれぞ狐火
というのがある故、お作りになった句もいっこう差支えありません。結構で
ございます、といったので、秀吉の機嫌は甚だよくなった。
(略)
関白様が連歌をお好みなされ、熱心に稽古していられるのに、最初から
規則やら何やらと、色々むずかしいことをいったなら、結局、連歌もいやに
なられ、そればかりでなく、天下の者連歌を詠むことまかりならぬなどと
いわれないとも限らない。そうなると、貴方の家業もなくなってしまうでは
ありませんか、といったそうである。
同書の運びとしては、
「歌学正道を説くのも柔らかで、雅びなセンスは日常生活にも発揮され、
歌学にこだわらない後々のことまで考え抜いて発言する、
幽斎ってすごいよね!」
なんだけど。
自分より立場が上の人にはいろいろ考えた対応なのに、
氏郷にはキツくないですか、幽斎さんw
その歌を口ずさめば氏郷だって引き下がるだろうにー。
やっぱり遊泳術がうまいよなあとしか読めなかったw
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