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事典にのらない戦国武将の居城と暮らし (別冊歴史読本 93)
石田三成の項。

 近江国犬上郡大滝村(現多賀町)に、当時の佐和山城の栄華をしのぶ童謡(かんこ踊り)の一節が伝えられている。

  一、おーれは都のものなれど
    近江佐和山見物しよ
  二、大手のかかりを眺むれば
    金の御門に八重の堀
    まずは見事なかかりかよ
  三、御門を入りてこのまたかかりを眺むれば
    八つ棟造りに七見角
    まずは見事なかかりかよ
  四、裏の御門まず出て北を眺むれば
    裾はみずうみ
    梢みごと

 この童謡から推測すれば、城の外観はかなり豪華絢爛であったようだ。もしかすると、三成は見栄っ張りの一面と宵越しの金は持たぬという気質もあったようである。

まさかの三成江戸気質説w
いや、江戸っ子は、
見えるところじゃなくて、見えないところに凝るんだっけか?

普通に考えると、
三成はあれこれ格好つける必要があったのかなとも思った。
自分こそ中枢であると自負していただろう豊臣政権は
周囲に派手な印象を与えていただろうから、
よけいにそうだったのかもしれないな。

だけど三成本人の印象は決して派手じゃないのが、
面白いところでもあり、哀しいところでもあるのかもしれない。
2011/06/16(木) 石田さん COM(0)
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