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今度は『江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸 (講談社文庫)』を読書中。

p63より江戸初期の大名の改易数一覧を孫引き。

◆家康時代(1600~1615)
  外様大名:28家(2,666,550石)
  家門2家+譜代11家(1,108,000石)  41家(3,774,550石)/15年
◆秀忠時代(1616~1632)
  外様大名:23家(2,631,600石)
  家門2家+譜代13家(1,758,000石)  38家(4,389,600石)/16年
◆家光時代(1633~1650)
  外様大名:28家(2,766,300石)
  家門2家+譜代17家(1,218,500石)  47家(3,984,800石)/17年

バランス取れてるw
2010/11/04(木) 徳川さん COM(0)
『武野燭談』の文が難しいorz
単語もよくわからないし、
エピソードがだーっと書いてあるから切れ目がわかりません(;;)
そんな中から平八郎さんの話。

 この本多忠勝桑名の城拝領して、本丸の塀をば腰切に懸させける。
 海岸に築出したる城なれば、石垣の際へ寄せ来る船をば、
 下矢に射さんとの事なり。

本多忠勝は拝領した桑名城の本丸の塀を腰の高さにした。
海岸に突き出た城なので、
石垣に寄せてくる船を上から矢で射るとの考えだった、
……ってことでいいのかな?
腰の高さの塀って、どうなんだろ;
でも平八郎さんひとりいれば大丈夫な気がするからふしぎ!w
2010/10/20(水) 徳川さん COM(0)
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