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続 星と伝説』より、星信仰について。

平安期、陰陽道・宿曜道が栄えると、
星祭りが盛んになった。
中期以降は特に北辰と北斗七星が崇拝され、
朝廷では星に灯明を捧げる祭事「御灯」(みあかし)が行われた。
こうした信仰は民間に広がって、
北辰に灯を備え福を祈る際に男女入り混じって歌舞を行うようになり、
風俗が乱れたために禁止された。

その後、朝廷でも信仰は衰えて御灯の行事も途絶えたが、
中世以降、日蓮宗が力を持つと、
北辰妙見信仰が再び盛んになった。

もともとこの北辰妙見信仰は推古朝時代、百済から伝わったもの。
周防吉敷郡高原の氷上山は、
この信仰をもたらした百済王子の子孫・多々良氏の聖地で、
毎年2/13に北辰を祀っていた。

そしてこの多々良氏は、戦国大名大内氏の本姓。

だから大内氏は、大内家壁書(大内氏掟書)で、

 鷹餌鼈亀禁制事  為鷹餌不可用鼈亀并蛇也
 「鷹の餌として鼈亀ならびに蛇を用いてはならない」

と定めた。


大内氏の幼名の「亀童丸」もこの信仰がらみらしい。
北辰妙見菩薩は、
北方の霊獣・玄武に乗った童形の仏なので。
ストレートにあやかったんだなw
2010/11/07(日) その他の小話 COM(0)
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